最後の晩餐はちーずで。

書きたい事を書くだけ。

初恋はミートソースの味。

私の生まれは千葉県なのですが、転勤族ということもあって、千葉→宮城→奈良と幼少期に二回引っ越しています。奈良にいる間も父は東京に行ったり、日本を出てロシア、フランス、イタリアなど転々としてました。

 

そんな私ですが、友達は多かったんです。千葉、宮城でせっかく仲良くなったのにお別れするのはとても寂しかったですが、仲のいい友達とは年賀状を今でもやり取りしてたりします。

 


千葉にいた頃、初恋の男の子がいました。彼を好きになった理由はお母さん同士と私、Kくんでお昼ご飯を食べに行ったんですが、パスタを全部食べきれなくて、困っていたらKくんが僕が食べてあげるよ!って言って食べてくれたんです。そして私はKくんのことが好きになりました。単純な脳みそですね。その脳みそは今も健在です。幼稚園では同じクラスだったので、何かあるたびに私はKくんに引っ付いていたと思いますし、写真を見るとよくとなりにいました。

 

そして幼稚園を卒園する前、引っ越す時はもう二度と会えないなんて思ってなかったので、バイバイとだけ言ったと思います。寂しかったですけど、それこそお母さん同士も年賀状送りあってましたし、いつか会えると思ってました。


でも、私が社会人1年目の頃、Kくんは亡くなりました。駅のホームで倒れてそのまま亡くなったそうです。話を聞くと、脳の病気(きっと脳梗塞的な突発性のもの)だそうです。

最後の年賀状の家族写真を見ると、とても素敵な人になっていました。私は、いつかまた逢えると思っていたので、心に穴が空いたような感覚になりました。



でも、きっとKくんは私のことなんて忘れているだろうと思っていました。年賀状だってKくんのお母さんが送って来ているので、彼は送ってることさえ知らないと思っていました。



彼が亡くなって一年後、Kくんのお母さんから電話がありました。私の母が出た後、私もお話させてもらいました。彼が亡くなる前、年賀状を送る時に彼の母が私宛に送ると言った時、彼はこう言ったそうです。



「懐かしい、また会いたい」




そして彼は続けてこう言ったそうです。




「昔、◯◯ちゃんが全然食べられなくて残してたスパゲッティを食べてあげたことがあるんだよね」





話を聞いて私は泣きました。

あの時、食べてあげる、と言った彼の声も表情も全て覚えています。彼と撮った写真は大切なアルバムに残っています。


彼はきっと自分が死んだことを受け止めきれなかったでしょう。どうして自分が、と思ったでしょう。もっともっと生きて、働いて、結婚して、子どもを授かって、そして育て、孫を見て死ぬ、それを望んでいたはずです。



いつ死ぬか分からないことが、生きている中でなによりも怖いものだと思いました。もしかしたら明日死ぬかもしれない、今この瞬間、ほんの数秒後に死ぬかもしれない。そう考えると本当に怖いですね。





彼が生きたかった時間を私は生きている。






きっと彼は、天国で将来なりたかったパティシエになっているはずです。だから、私が死んだらケーキを作ってもらいます。






そのケーキは、残さずに全部食べるからね。