最後の晩餐はちーずで。

書きたい事を書くだけ。

自分はこんな人間です。part1

明日からまた仕事が始まると思うと胃が痛くなってきてます。ちーずです。

何故ブログを始めたかと言いますと、昔からだらだらと長く語るのが好きだったのが1番の理由です。くだらない事を吐き出せて、且つ全然知らない人に見てもらえて、甘い意見や厳しい意見を言ってもらえるのって素晴らしいですよね。私を知らないからこそ言える事ってあると思うんですよね。でも辛口意見は大半無視します。この時点で私がブログをすることは無意味です。

当時中学生だった私は携帯は持っていましたが、今のようにパケホーダイにはしてもらえておりませんでした。一度それを知らず1ヶ月で3万も使ってしまいバカみたいに怒られた記憶があります。本当バカですね。ごめんねお父さん。

中学〜高校は当時流行っていたSNSを全部してた気がします。ヤプログとかデコログとか前略プロフィールとか、mixiとか。コメントとかは気にしてなかったものの、「みんなやってるから」的な気持ちもありました。小学生の時にあった「交換日記」の延長戦のように、友達と繋がって話してたと思います。

そして高校時代に確かニコニコ動画に出会った気がします。ここで私のオタクに拍車がかかりました。中学生の時からバカみたいにオタク拗らせてたんですが、高校でさらに加速しました。

高校はデザイン学科なんですが、周りほぼオタクだったので、オタクであることに違和感すらありません。授業中は絵を描いて、授業でも絵を描いて、休み時間もみんなで絵を描いてました。

大人になったらオタクじゃなくなるだろ、働くし。と意味の分からない事を高校時代よく言ってました。因みに中学時代は23で結婚するとほざいてました。雑魚ですね。

大学は真面目な医療秘書の専門的なことを学べる大学でした。勿論周りにオタクなんていません。不安になった私は四月始めにある合宿で「はじめまして!私はアニメとかフィギュアが大好きです!宜しくお願い致します!」と何十人もいる前で言いました。暫く周りの人に「フィギュアの人」と呼ばれてましたが、クラスにいたオタクの人と仲良くなれました。仲良くなった人とは今でもTwitterで仲良くしてくれてます。

ただ授業はとても厳しく、よく泣いてました。サボったりもしてましたが、大学生でよくある「ねぇ代わりに出席しといてくんね?」「マジかよわかったよ次なんか奢れよ?」みたいなノリなんて通用しません。毎回毎回、出席の時は名前を呼ばれると立って応えないといけません。よく赤点も取ってましたが、たまたま帰りが一緒の友達がクラスでトップの子だったので、頼んで色々教えてもらってました。その子は今でも真面目に総合病院で働いてるそうです。天と地の差があります。

卒業後は真面目に総合病院で働いてましたが、宗教絡みで鬱になってメンヘラになって、そこから頭おかしくなりました。人生どん底です。

この後のお話は次のパートでしようと思います。